●書評が掲載されました/2015年6月7日記
ラルフ・ミュラーさん Dr. Ralf Müller の著書に対する書評を書きましたが、それが下記のとおり掲載されました:
Philosophischer Literaturanzeiger, 68/2/2015, Klostermann, S.158-165
Ralf Müller: Dōgens Sprachdenken --Historische und symboltheoretische Perspektiven, Verlag Karl Alber, Freiburg, 2013
評者名は、Himi Kiyoshi, Suzuka (Japan) となっています。
●学会発表
2016年12月17日~同20日、香港浸會大学 Hong Kong Baptist University で開催された第2回アジア・カント国際学術大会 The Second Kant in Asia International Conference で発表:第10 session、12月20日午前11時20分より20分間発表+10分間質疑応答、英語。
Kiyoshi Himi, The critical philosopher Confucius as the antecedent to Immanuel Kant
「批判」と訳されている "critique"(独"Kritik")の原語はギリシア語の "κριτική" で、その意味は "ability to discern" つまり「区別の能力」である。そこで思い当たるのは、『論語』為政篇第二・十七章に見られる孔子の言葉、「由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也」。それはまさしく、「知り得ること」と「知り得ないこと」との区別の根本的重要性を言い表していて、それから約2300年も後にカントが『純粋理性批判 Kritik der reinen Vernunft (Critique of pure Reason)』で試みた「知り得ること」と「知り得ないこと」との厳格な区別 ――それはすべての学問の基礎になると考えられた―― をその精神において先取りしているものといってよいと思う。孔子をカント批判哲学の precursor として積極的に認めることによって、私たち東アジア人のカント哲学理解はいっそう実りあるものとなり、共通の財産としての孔子思想に対する理解もまた深まって、哲学思想を通しての相互の分かり合いも進むに違いない。そうした私の想いを訴えた。
学会の公用語が「英・中+独」という、日本人にとってはなかなか厳しい条件であった(今回、他の日本人参加者には会わなかった)が、懸命に準備した甲斐あって、今までの自分の経験の中では、いちばんマシな発表ができたと思う。第一鈴17分、第二鈴19分、第三鈴20 分(即止め!)という時間制限を見事に守ることができたのは、我ながら立派であったと思う。続いて質疑応答10分間、ありがたいことにフロアから4名もの方に質問をいただいた。私の英語力では、まことに拙い(ひょっとしたら完全に的外れの)応答しかできなかったことを、申し訳なく思っている。
ともあれ、この年齢でまた国際学会での発表の機会を与えてもらえたということが、何より嬉しかった。体調管理等の都合があって、あまり多くの session に参加できなかったり、発表期日について無理を聞いてもらったり、主催者の方々にはいろいろ失礼をしてしまったが、どうかご容赦いただきたく思っている。カント哲学の研究は、東アジアの地においてこそ、今後ますます盛んになっていく可能性がおおいにある、と私は信じている。
学会組織委員会のご好意により、発表テキストのオンライン公開を許可されましたので、Library の方で読んでいただけます。