2019年 年頭の辞  


謹賀新年

皆々様のご多幸をお祈り申し上げます

一昨年より取り掛かっております哲学評論文の題名を:

「無条件降伏者の精神現象学」Phänomenologie des Geistes bei den bedingungslos Kapitulierten


と決めまして、昨年中はその第2部(上)となるニュルンベルク裁判論を約14万字書きましたが、まだ完成していません。春頃にはアップしたいと思っていますので、

https://www.korousa.com (=当HP) でよろしくお願いいたします。

なお、これをちょうどよい機会に、元号使用完全停止を宣言いたします。70年かけて到達した結論に基づき、元号を捨てます。私の断捨離第一弾です。


注記: 「元号」のことは、「煩わしい」「面倒」と思いながらも、何となく愛着を感じているところもあり、一方でキリスト教暦(=古い神話というかお伽話に由来する)が全世界の共通暦とみなされる風潮に対する反発もあったために、今までは併用してきましたが、この度、年賀状を書こうとして、「平成三十一年元旦」は、いかにも空々しいと気づいたので、この際、元号使用打ち切りの態度を明確にしよう、そろそろ終活の一環としての断捨離にかからねばと思っていたところでもあるので、その第一弾にちょうどいい、と思いついた次第です。
 ついでにちょっと、30年前のことを思い出しているのですが、あの頃、私は、大学夜間部の教員をしていたので、勤労学生の皆さんと知り合いでした。その中に、お家が印刷会社を経営しているので、その社員として仕事をしながら、大学に通って来ている人がいました。昭和63年が暮れに近づいた頃、彼が今までになく欠席がちになったので、どうしたのかと思って、学校で見かけた時に声をかけてみました。すると、彼が答えていうには、「いや、これだけ押し詰まってくると、どうしても仕事が忙しくなるんですが、今年はまた特別です。何しろ『昭和64年』と刷ったカレンダー、せっかく納品したのに全部返されるかもしれないという、瀬戸際なんで・・・」。なるほど、そんな問題も起こっているのか、と彼には悪いと思いながらも、或る種の感慨に耽ったものでした。結局どうなったかといえば、天皇さんが、輸血に次ぐ輸血で、頑張って延命なさってくださったおかげで、「昭和64年」が7日間だけ存在することができました。昭和64年カレンダーは――日めくりだったら万々歳!――それぞれのお宅の家宝となっていることでしょう。
 今回、郵便局で買ってきた年賀はがきには、どこにも「平成三十一年」とは印刷されていませんでした。30年前の経験と比べてみて、それがまた面白く感じられました。でも、あの時、理屈からいえば元号不要論に到達していたとしても不思議ではない筈のところ、そうならなかったのは、彼から聞いた話に、何か元号に対する愛着を覚えさせる要素があったからなのでしょう。
 とはいえ、不踰矩たるべき年齢に達した今、合理性を見出せないものに恋々として縋りついているような態度は、どう考えても相応しくないですね。ですから、やはりここでお別れします。昭和さん、平成さん、お世話になりました。

*よく見たら、下の方にボックスがあって、「平成31年 お年玉」と書いてある!やはり、日本郵便は日本郵便ですね……と、また感慨に耽っていますが、私としては、今度こそは、もう上に述べたとおりで、変えません。